どもどもさやですよ
外は灼熱っぽいですね
図書館にいる図書部はクーラーのもと快適にすごしておりまする
行き帰りで死なないよう気を付けるだけですね
今日は午前中は昨日に引き続き共同制作の準備とかいろいろしてました
お昼を食べて…
午後からは、漫画評論家の
村上知彦先生が
来館してくださいました
突然、図書部の「手塚治虫研究会」での質問をぶつけてしまったのですが
丁寧にまたわかりやすく教えていただきました
- 手塚治虫と悪書追放運動
- 具体的にどのシーンが悪かったというわけではなく、ごっちゃにされて批判されていた。そもそも荒唐無稽なものが許されない風潮があった
- 馬場のぼるなど、童話系を書いていた人は対象にならなかった
- 日本児童雑誌編集者会ができたのは編集者に反感があったから
- 運動によって出版社側が自主規制をしたりはしなかった
- 1954年に勃発したのは何があったわけでもなく、積もりつもった反感がきっかけを得て始まったもの
- 1954年は戦前マンガからストーリーマンガへ切り替わった時期である
- 手塚治虫は新しいことをしている一方で自分は正統派漫画家だと思っていた
- マンガ家自身への被害(連載の打ち切り等)はなかった
- マンガと児童文学でどちらがより処罰された、ということはないが指定されたものの中で有名な人がいなかったため、有名な手塚治虫がいたマンガがよくメディアにとりあげられた
- 絵画部門で年収一位に手塚治虫がなったので漫画家なのに!?となった
- 手塚治虫は関西から来たため、「阪僑」と呼ばれたりした
- 手塚治虫とリメイク
- 手塚治虫と手塚家
- 手塚家はずっと医者をしていたわけではない
- でも手塚家はいい家柄(のはず
- 7.5mmのカメラは当時ブームで売っていた
- この時代はいい家であれば娘に対して厳しかった
- 手塚治虫と宝塚
- 手塚治虫の幼少期
- 手塚治虫とアニメーション
- 「鉄腕アトム」は日本発の国産連続アニメ
- 「銀河少年隊」という人形劇とアニメの合体作があった
- 旧虫プロは手塚治虫がつくったものの、その旧虫プロの著作権を労働組合が退職金代わりにもらって、それをもとにつくられたのが新虫プロ
- 新虫プロがTOPに立って製作することは今は少ない
- セクシャリティーについては、手塚治虫は単行本や雑誌でかき分けていた
- ディズニーと手塚治虫は対象が違う
- ディズニーはセクシャリティーを表面的に排除していた
- 手塚治虫が「鉄腕アトム」より前に作っていたアニメは「銀河少年隊」
- 日本で30分枠のアニメといえばアメリカのものだった(「スーパーマン」とか)
- アメリカンコミックも9.11を境に変化
- 手塚治虫と医療
- 村上先生ご自身について
- おじいさんにあたる方がなんと中学部の先生だった(矢内先生の同僚)
- その他
- 「赤○○」とは低いものを指す
- 同じようなものにイエロージャーナリズム(イエローピントから?)
- 手塚治虫は著作権についてうったえたことはないと思う
- 火の鳥羽衣編はたったの16ページ! 場つなぎ的にかかれたもの。「COM」で発表された
- 初筆と単行本に載っているものでセリフが全部違う、差別的表現が原因とも(意味が逆になったものも)
- 手塚治虫はもじるのが好き!(シャーロック・ホームズ→写楽、ワトソン→わと)
- 「シャーロック・ホームズ」のようなオカルトミステリーであることをしめしたかった?
- 『ブラック・ジャック』ではポピュラーなスターシステムのキャラクターがほとんど出ていた
- 『新宝島』の単行本にある線は編集のときに白紙はさびしいのでいれたもの
- 先生も編集者だったとき、はじめて四コマサイズに合わせた装幀で本を出した
- 初の公認ファンクラブの会長は中学部の卒業生! 冊子の名前は『虫のしらせ』
サインもいただきましたようおおおおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉ
今年はいろんな方にサインをいただいております…ありがとうございます
↓画像はここを見てね
村上知彦先生が来校されました。 | 2014年のニュース | 関西学院中学部 Kwansei Gakuin Junior High School
ではでは次みなさんと会うのは合宿ですよ
ちゃんと作品論の資料の準備してきてくだっさいね☆
ではまたみなさん元気であいましょー
さやでしたー