どうもろです。本木昌造についてのまとめです。
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本木昌造の生涯
1824年 長崎で生まれる、本木昌造の実家は、北島家の四男、馬田家の二男という二つの説がある*1
1834年 本木家の養子になる、本木家は代々通詞を家業にしている家系で、通詞の中でも名家だった*2*3*4*5
1846年 コステルの伝記を読み活版印刷に興味を持ち始める*6*7
1848年 通詞仲間と印刷機や和文活字の製造を研究し始める*8
1855年 長崎海軍伝習所が設置され通詞を任される、活版摺立所の開設が奉行内で認められ取締役になる*9*10*11*12
1860年 長崎製鉄所で働く、1871年に長崎製鉄所は長崎造船所に改称している*15
1868年 長崎で初の新聞「崎陽新聞」を発行する、日本初の鉄橋である「くろがね橋」の架設に携わる、1873年には「長崎新聞」も発行したが、長くは続かず廃刊している*16
1869年 活版伝習所を開設する、ガンブルから電胎法を伝授してもらう*17*18*19*20
1870年 新街私塾を開く、小幡活版製造所を開設する、ここでは長崎で製造した鋳造活字の販売が目的だった*21*22*23
1872年 長崎新塾出張大阪活版所を大阪に開設する、平野活版製造所を開設する*24*25
1873年 東京築地活版製造所が開設する、平野活版製造所が注文に応じきれなくなったため、東京築地活版製造所が誕生した*26*27
- アメリカ改革派の宣教師
- オランダ生まれ
- 1859年に来日した
- 幕府の命で長崎の洋学局で英語の教授をしていた
まとめるの苦手なんで年表と箇条書きにしました。宿題が全く終わってないので終わります。ばいばいきん
[東京築地活版製造所]活版見本 - 国立国会図書館デジタルコレクション
「文章ってなあ、いつまでたっても未完なんだと思うんだよ。」 - 関西学院中学部図書部のブログ
*1:北島家、馬田家とはどのような家だったのかな?
*2:通詞は日常的にどのような仕事をしていたのかな?
*3:通詞にはほかに家があったのかな?
*4:通詞にも格式やランクみたいなのがあったということかな?
*6:「コステルの伝記」って何かな? 活版印刷についての本? それとも活版印刷でつくられた本?
*7:それまでに日本では活版印刷やそれに似た技術はなかったのかな?
*12:「取締役」とはどんな役割?
*13:長崎町版とはどのような特徴があるのかな?
*14:具体的には長崎町版にはどんな本があったのかな?
*16:「崎陽新聞」はどんな新聞だったのかな? 長崎新聞との違いは?
*17:「活版伝習所」は長崎に開設したのかな?
*18:この「活版伝習所」は、1855年の「活版摺立所」とつながりはあるのかな?
*19:ガンブルって何者かな?
*20:電胎法とは何のためのどんな方法なのかな?
*21:「新街私塾」や「小幡活版製造所」はどこにできたのかな? 長崎?
*22:「新街私塾」は何のために開かれたのかな?
*23:「小幡活版製造所」は「鋳造活字販売が目的」ということは印刷そのものはやってなかったのかな?
*24:なんで大阪に活版所を開設したのかな?
*25:「平野活版製造所」はどこに開設されたのかな?
*26:なぜ東京築地に「活版製造所」を開設したのかな?
*27:「平野活版製造所」はそれだけ注文が多かったということかな?
*29:平野富二とはどんな人物だったの?
*30:築地体ってどんな書体だったの?
*32:「美華書館」ってどんな機関だったの?