こんにちは!そららです。夏休みに調べた「グーテンベルク聖書」のまとめです。
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ヨハン・グーテンベルク(1400~1468)とヨハン・フスト(1400~1466)の提携によってドイツのマインツにある工房で1452年~1455年頃にあの有名な42行聖書が印刷されました。*1*2
世界初の金属活字による活版印刷として知られるこの42行聖書は、当時180部ほど印刷されたと推測されています。*3*4*5
しかし、現存しているのは48部だけで、その中でも完本は21部のみです。*6*7 名前の通りほとんどのページが各42行の2段組みで構成されており、ラテン語のウルガタ聖書をもとにしています。*8*9
朱書き部分や頭文字などの装飾部分は手書きで、一つとして同じものはありません。*10
また、目次がないため革製のインデックス用ボタンが各章の初めについています。*11
グーテンベルクは元々は貨幣鋳造や金細工職人の仕事をしており、ぶどうしぼり機をヒントにインクをぬった活字に紙をのせて、圧力をかけて印刷する活版印刷機を開発し、ヨハン・フストの融資によって金属活字による活版印刷を開始しました。*12*13
後にフストと裁判になり敗訴したグーテンベルクは全ての印刷機材をフストに渡すこととなりましたが、その後も別の工房で『31行免罪符』や『カトリコン』などを印刷したといわれています。*14*15
グーテンベルクの印刷技術が完成される以前、ヨーロッパでは羊皮紙という羊の皮で作ったものに手書きで文章を書き写す写本が、本の主流でした。*16
一冊の聖書を完成させるためには数百頭分のヤギや羊の皮が必要で、修道士らによって美しい文字で書かれていました。*17
そのため、本はとても高価なもので、貴族や王族などの一部の人間しか所有できませんでした。*18
グーテンベルクと同時期にヨーロッパでは紙の生産が始まり、各地へその技術が広まっていきました。*19
そのため、グーテンベルクが発明した金属活字による活版印刷の方法は、ブリテン諸島からイタリアやギリシャ、スペインからコンスタンティノーブルへと世界へ広まっていきました。*20*21
グーテンベルク42行聖書 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション Digital Collections of Keio University Libraries
第29回 グーテンベルク42行聖書に会いに行く | DNP 大日本印刷株式会社
館長あいさつ|ミズノプリンティングミュージアム|ミズノプリテック
たった7ページの「ロマン」 - 関西学院中学部図書部のブログ
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大体調べたことを書いたので終わろうと思います。宿題終わってません。さようなら!
*3:その金属活字の「金属」はどのような金属かな?
*4:なんで42行聖書が印刷されているのは180部ほどって推測されているのかな?
*5:その金属活字の書体はどんな書体なのかな?
*6:どの国が持っているのかな?
*7:日本にはあるのかな?
*8:なんで42行の2段組みなのかな?
*10:装飾部分は42行聖書以前の聖書と同じなのかな?
*11:聖書も含めて、当時の本には革製のインデックス用のボタンがあったのかな?
*12:グーテンベルク以前には活版印刷を試みた人はいたのかな?
*13:フストはどれくらいの融資をしたのかな?
*15:グーテンベルクは印刷機材をフストに渡したのに、なんで別の工房で印刷することができたのかな?
*16:巻物=巻子本から本のかたちになったのはいつごろかな?
*17:文字のかたち=書体が定まってきたのはいつごろかな?
*18:本が高価だった、貴重だったエピソードはないかな?
*19:この「紙」とそれまでの羊皮紙の違いは何かな?
*20:金属活字による活版印刷は、アジアにはいつごろ伝わってきたのかな?
*21:金属活字の書体は変化したのかな? 変化したならどういう書体ができたのかな?