くっついたり、はなれたり

 顧問です。分散登校がはじまりましたねー。久しぶりにリアル授業ができて、気合も十分です。

 さて、2020年5月27日のブログで「……モリサワのつづきの話は、次のブログで紹介しますね。……」とか言っておきながら、前の私の担当では別のことを書いちゃったので、今回は改めてモリサワのつづきを。

toshobu.hatenablog.com

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 モリサワの創業者の森澤信夫は、星一にあこがれて星製薬に入社し、印刷部に配属され、星一支援のもと石井茂吉とともに写真植字機(写植機)を発明。1924年、その特許を出願(これがモリサワの創業とされています)。1925年、特許が成立。

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 1926年、森澤と石井は、東京で写真植字機研究所(今の写研)を共同で設立。1929年、実用写真植字機が完成。文字盤収容の字数は5,460字。しかし、ほとんど稼動しなかったようです。1933年、森澤は石井から離れ、大阪で成功。

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 1946年、森澤は、再び石井と写真植字研究所で事業を再開。森澤が大阪で写植機の本体を製造して東京に送り、石井がレンズや電気部品を取り付けて販売するというかたち。1948年、森澤は大阪の工場を移転し、写真植字機製作株式会社を設立

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 1954年、森澤は石井から再び独立し、モリサワ写真植字機製作所を設立。1955年、モリサワ写真植字機書体文字として「中明朝体AB1」「中ゴシック体BB1」のオリジナル文字盤を発表。1971年、モリサワに改称。1982年、亀倉雄策のデザインのロゴに。1987年、アドビシステムズ社と提携。2002年、OpenTypeフォントをリリース。

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 簡単にいえば、このような歴史を持つ会社なんですが、いくつか素朴な疑問があるんですよ。

  • 森澤と石井が共同で写植機を開発、改良、販売してるんですが、お互いの技術が異なる補完関係だったのか。それとも、同じような技術を持っていたのか。
  • 森澤と石井はなんで二度もくっついては、離れたのか。
  • 1929年に写植機ができたころは、ほとんど使えなかったみたいだが、いつごろから実用化されはじめたのか(活版印刷の衰退との関係
  • 1933年~1946年、森澤はどのような事業によって成功をおさめたのか。
  • モリサワとしては、1955年にオリジナル文字盤を発表したが、それ以前の写植機の文字盤はどんなフォントだったのか?(写研のフォント?
  • 1987年、モリサワアドビと提携して、DTP化の流れに即応するが、この判断はどのようになされたのか。

 森澤らが発明した、邦文写真植字機の試作模型やいろんな写植機、文字盤などが、モリサワ本社5階の「展示ゾーン」で展示されているみたいなんですよ。モリサワの歴史だけでなく「文字と書物に関するコレクション」も。部員みんなと一緒に見学できる日が早く来ますように。

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 明日は水曜日です。部会代わりの「図書部通信」配布、情報シェアをしますので、授業前か授業後に図書館に寄ってくださいね。では。