顧問です。この期間、十分なアプローチができず、本当に申し訳なく思っています。数々の不行き届きをおゆるしください。にもかかわらず、こうやってみなさんがちゃんとブログを書き連ねてくれていること、心より感謝しています。
さて、緊急事態宣言が出て以来、どうしても学校でしかできない仕事がある場合を除いて家にいます。今日もそうなんですが、3年生有志にオンライン授業のようなことをしています。もしよければ参加してください。また、休校期間が延長されるなどに備えて、オンライン授業の準備をしています。Zoom、Microsoft Teams、Google Classroomなど、どれが、どの組み合わせが一番適切か、授業をつくりながら考えています。あと学校Webサイト「休校期間中の学びに活用できるサイトや便利ツールを紹介しています。」の更新もしています。今だからこそのサイトもあるので利用してくださいね。
さて、文化祭・年間テーマ「図書部、活字拾うってよ」について。6つのテーマに分かれて探究してもらってます。私なりに調べたメモを以下に記しておきますね。
1.グーテンベルク聖書
『活版印刷三日月堂』4巻「星をつなぐ線」でも紹介されていますね。15世紀のドイツでのグーテンベルクの活版印刷は「発明」というよりも「改良」。その改良点は以下の通り。
- 活字を鋳造しやすい鉛合金をつくった
- 金属活字に適したインキをつくった
- ぶどう絞り機をもとに真っ直ぐ強い圧力を加えられる印刷機をつくった
それまで、西洋は印刷ではなく、本を書き写す「写本」が原則。でも、東洋(中国や朝鮮や日本)では11世紀には活字があったみたいですね。その素材は粘土(モルタル)や木や青銅。漢字の種類の多さもあって、あまり広まらなかったみたいですね。
グーテンベルクの活字の書体はゴシック体(それまでの手書きの書体、日本のゴシック体とは違う)。その直後、ルネサンス期のイタリアで、ローマン体やイタリック体が生まれたようです。
大学図書館は、グーテンベルク42行聖書やそれ以前の「写本」聖書も所蔵されているみたいです。一度は見てみたいですね。
2.本木昌造(もときしょうぞう)
江戸時代の終わりに誕生。オランダ通詞(通訳)の家に養子に入る。有名な日米和親条約を結ぶときにも通詞として参加。ちなみに江戸幕府が滅んだのは1867年です。
おもしろいのは、江戸幕府より先に1848年、本木がオランダ船から鉛活字と印刷機を購入しているところ。役所よりも、誰よりも、活版印刷に着目したんですね。幕府は1855年、長崎奉行所に活字版摺立所(かつじばんすりたてしょ)を設置。活版印刷を研究したり、実際にやってみるところ。本木もそれに関わります。明治時代に入った1869年、本木は長崎製鉄所付属の活版伝習所を設立します。そこでアメリカ人のガンブルという人から活字のつくり方を学びました。
結局、1875年に木本は亡くなるのですが、本木の技術や思いを受け継いだ弟子の平野富二(ひらのとみじ)が築地活版製造所(つきじかっぱんせいぞうしょ)を設立。ここでつくった活字「築地体」が、写植が広まる戦前までよく使われていた。
3.日本のフォント
そもそも「書体」と「フォント」という言葉の違いが、なかなか伝わりにくい。まず、それぞれの言葉を私たちに定義をしてみませんか? 以下は私の案です。
- 書体:一貫した文字のデザイン
- フォント:コンピュータ中の書体を一式にまとめたデータ
日本のフォントはたくさんあるんですが、それらは次の4つに分けられるようです。
- 明朝体
- ゴシック体
- 筆書体(手書き書体)
- デザイン書体
「フォント」は、およそ戦後(写植→DTPの時代)から言われ出したみたいで、それまでの活字の時代では明朝体とゴシック体くらいしかなかった。その明朝体のなかで、平野富二の築地活版製造所で使われいた「築地明朝体」などの種類があったみたいです。いろんなフォントをつくるってのは活字だから難しいですよね
それが写植→DTPの時代になって、いろんなフォントがつくれるようになりました。およそ戦後なんだけど、やっぱり時代によって流行り廃りがあるみたい。有名な高速道路のフォントいわゆる「公団ゴシック」は絶滅しそうだし、逆に「UDフォント」はこれからの標準になりそうだし。
フォントにはかなりの専門用語がありますね。エレメント、ウエイト、UDくらいはおさえておきたいですね。
4.モリサワ
日本を代表する写植、DTP用フォントメーカーのモリサワ。写植とは、活字を用いずに文字板からレンズを使って一字ずつ感光紙またはフィルムに印字して印刷版を作る方法。DTP(デスクトップパブリッシング)とは、書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパソコンでおこないプリンターで出力する方法です。
モリサワの創業者である森澤信夫(もりさわのぶお)と活字との出会いは、1922年に星製薬の星一(ほしはじめ)社長の公園を聞いたことにはじまります。星一は「ショート・ショート」で有名な星新一のお父さん。翌年、その星製薬に入社し、印刷部で配属されます。1924年、イギリスでなかなか実用化されなかった「邦文写真植字機」を発明。1925年、写植「写真装置」で特許を取得しました。1926年に石井茂吉とともに石井写真植字機研究所を設立(現在の写研)。のちに独立して、今のモリサワをつくりました。
1984年にApple社がMacintoshが発表。写植に代わってDTPが印刷業界に広がりつつありました。モリサワはAdobeと提携して、写植用だけではなく、DTPでも使える書体を販売するようになりました。
「モリサワの展示ゾーン」では、邦文写真植字機の模型も見られるみたい。写植ってあまりイメージできないんで、一度見学してみたいですね。
何度も読み直していますが、読めば読むほど緻密に綴られた小説だなーと感じています。「三日月堂」の世界をより堪能するために、用語をちゃんと理解したいですね。まずはざっと印刷関係の用語を。
- 手キン、オフセット、植字工、文選箱、袖、大出張、母型、チェース、飾り罫、組版、インテル、パルパー、込めもの、蔵書票、フライヤー、ゲラ、校閲、多色刷り、端物、小ロット、平台、ハイデンベルグ社、DTP、木口木版
その他、文学・芸術作品など
- 高浜虚子、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、あまんみきこ『ちいちゃんのかげおくり』、『校定新美南吉全集第八巻』、長谷川潔「一樹(ニレの木)」、「ヴェラクルス」、「スター・ウォーズ」、俵万智『サラダ記念日』、「なごり雪」「ひこうき雲」、『万葉集』、八木重吉『貧しき信徒』
丁寧に読んでると、誤植を見つけましたよ。私は本町は「ほんまち」と読ませたいんだよね。Osaka Metroも本町(ほんまち)駅、神戸電鉄も三田本町(ほんまち)駅だから。
- 3巻250ページの7行目→本町(もとまち)印刷
- 4巻8ページの3行目→本町(ほんちょう)印刷
6.フォント男子
自分の不勉強をさらけ出してしまいますが、「フォント男子」は「ヤングエースUP」というWebサイトで連載されていることを知りました。お恥ずかしい。
これを見ていると、近々2巻の発売も可能性ありですね。ちょっと前にコスプレの話が出ていましたが、個人的には「リュウミンオールドがな(KO)」みたいな老紳士になりたいなーなんてちょっとだけ思いました。変換できない文字は「ゲタ」になっちゃうしお茶目。
『となりのヘルベチカ』もいい本ですね。『フォント男子』と合わせれば、日本と西洋、両方の書体・フォントをマスターできる。『となりのヘルベチカ』にもいろんな豆知識が紹介されていて、たとえばエレメント(部位名称)の話。
- セリフ、ステム、アーム、アクシス、イヤー、ターミナル、ショルダーなど
ちなみに「オーバーシュート」となる用語もあるそうです。
こんな感じで、明日以降できればこのブログでそれぞれのグループのテーマの内容について触れてくれるとうれしいです。Webだけでもだいぶ調べられますよ。期待してます! くれぐれもご自愛を。