公園になった古墳&科学館―日本昔ばなし遠足4

紫京院響です。今回、我々科学グループは、雀の松原の痕跡、東求女塚古墳西求女塚古墳敏馬(みぬめ)神社、そして、神戸青少年科学館に行って参りました。

まず、魚崎駅に集合し雀の松原の痕跡に行きました。ここは「雀の松原」という昔話に関係するところです。現地の案内板によると、「浜辺の松林であったこのあたりは、古代にはササイの里と呼ばれていた。この地名に『雀(ささい:鳥の名)』の字を当てていたのが、『すずめ』と読み替えられ、雀の松原という地名ができた。古来の景勝地で、源平盛衰記の中にも山陽道沿いの名所としてこの名が記されている。また『雀合戦』の伝説も残っている」だそうです。

次に、少し歩いて東求女塚古墳と電車に乗って西求女塚古墳に行きました。この2つの古墳には、男女の三角関係の悲恋話が古くから伝わります。「求女塚」の話です。「太古の昔、現在の神戸市東部から芦屋市にかけて、大阪湾沿岸の湿地に茂る芦を屋根にふいて葦屋(あしのや)と呼ばれていたそうですが、伝承によれば、その葦屋に菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者が思いを寄せていたといいます。なかでも、同じ里に住む菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の男が彼女を深く愛し、激しく争うことになりました。これに心を傷めた処女は身を処しかね、嘆きつつ自ら命を絶ってしまいます。処女の死を知った壮士たちは深く悲しみ、二人とも後を追いました。親族たちは、このことを長く語り継ごうと、処女(おとめ)の墓を中央に、壮士たちの墓を両側に作ったと伝えられます」。今回、処女(おとめ)の墓は時間の都合でなしに、東と西の壮士たちの墓を見学しました。

そして、今回の昔話関係最後は敏馬神社です。「美奴売の松原」の話。この神社は、神戸でも昔から有名な神社。スサノオノミコトやアマテラスオオカミなどの神話上の人物から、万葉集藤原定家も関係しています。

ここからは昼食をとり、科学グループの目的地である神戸青少年科学館に行きます。

ポートライナーに乗り、南公園駅で降りて科学館へ向かいます。
ここでは科学に関するいろいろな展示物がありました。結構デカ目のアトラクションなどもありました。(途中で数名隣の珈琲館に行っている人たちもいたような笑)

こんな感じで無事に今日の遠足は終了しました。
最後に下手な編集になってすいませんでした。m(__)m